2006年06月28日

外来種の悲しみ

いらいらした時は言葉遊びをしてみよう

例えば 今日6月28日の琉球新報を使って
新聞の文字の断片を自由、適当に組み合わせると・・・・

“尿検査正式表明は謹んで強化”


本格的な夏がやってきた。70歳までも夫婦で元気にはしりたい!!

県はイスラム原理主義の意向を受け、人魚姫の衣装で 悪の枢軸と駆け引きを表明

さだまさしさん、資産3億5000万円。潤うもの感じさせる。

洗練された踊りに私は肌イキイキ、公民館で練習することになった・・・・夫は最初 いいかげんにしとけよ と言っていたが、「チャンスを生かすかは自分次第」と、私はどう思われてもいいと度胸が決まって発表した。


語り部として、ためしてガッテン!

女性サロン、深いラブからの脱出。

ピースフルラブロックフェスティバルが業務停止。
本紙の取材に対し、「私も高齢となり、とどめ刺せ」と説明。「厄介者扱いされる外来種の悲しみもダメだし」と笑みを交えながら話した




(外来種 ブラックバス!)  

Posted by 山田ばさらよっしー at 22:32TrackBack(0)

2006年06月28日

ユダ!

ボブ・ディランのドキュメンタリー映像
“NO DIRECTION HOME ”を観た

ジミヘンドリックスも ジャニスジョップリンも ジムモリスンも
ジョンレノンも もういない

それなのに ボブディランは生き続けた
なぜだろう・・・・・

この映画を観てあらためてわかった事は、ボブ・ディランのミュジックシーンにおいての使命は、61年〜66年ですべてやるだけやった という事。音楽には6年周期というのがあるという・・・ 6年ごとに音楽の血の入れ替えがあるらしい。それがディランの活動にも見事にあてはまるのがおもしろい。

もし70年代以降、ディランにミュージックシーンにおいての使命があったとしたら、腐るまでやり続けろということくらいか。
70年代以降のディランの活動もすばらしいことはわかっている。
けれど70年代以降のディランはロックンロールの王様ではない。
60年代のディランは時代の寵児であり、ロックンロールの王冠は彼の手にあった。

66年のヨーロッパツアーのカラー映像がこれだけ残っていたのには驚いた!
僕自身 海賊版ビデオで66年ツアーの映像は観ていたが、今回発表された映像とかぶっているところはほとんどなかった。

なんで40年もだしおしみしてたんだい!!!
と叫びたいくらいだ

僕は以前ラジオで、66年ヨーロッパツアーのディランは時代と戦っていた と伝えたことがあったけど、その意見は間違ってなかった。

おそらくドラッグのためだろう
動きがせわしなく、目がとろんとしている。マスコミの意味のない質問には、意味のわからない言葉で交わす。

「もういい! とにかく 家に帰りたいんだ」
と答えるディラン。

このツアーではロックシーンにおいてとても重要な場面がある
フォークミュージシャンとしてのディランを期待してライブをみにきたオーディエンスの前で、ディランはバンドを従え、大音量でのロックをかき鳴らす!

そのディランに怒り心頭のファンが

“おまえは 裏切り者のユダだ!”と叫ぶ

まさかこのシーンが映像として残っていたなんて!!!

僕はこのライブCDを何千回と聞いてきた。そして ユダ! と言われたディランがどんな表情をしたのだろうか 何万回もイメージしてみた

映像に残っていたディランは、何万回と僕がイメージしていたどのディランとも違っていた

ディランは “裏切り者!” と言われた後も
純粋に音楽を楽しもうじゃないか   という顔でバックメンバーに振り返り演奏していた

もう疲れた。誰か代わりのディランを雇ってくれよ

もう家に帰りたいよ

とステージの裏では嘆いていても、純粋に音楽を楽しむ姿勢だけは決して失わなかった


僕はこのシーンをみた時、不覚にも泣いてしまった

ボブ・ディランに憧れ歌い始めた10年前を思い出し、ジミヘンドリックスやジョンレノンではなく、ボブディランというアーティストに出会った20才の僕は本当に幸せだったと思った。

いつか僕はディランに会わなくてはいけない

僕はずっとディランになりたかった。

ロバートアレンジンママンという少年が ボブディランというアーティストをつくったように、山田義仁という人間が ばさら というアーティストをつくる

それが僕にとってのディランではないかと思う


  

Posted by 山田ばさらよっしー at 04:31TrackBack(0)

2006年06月23日

赤い絨毯

琉球大学法文学部新棟渡り廊下にて行われた 
岡本光博さんの “赤絨毯プロジェクト” をみて来た

平和の礎に刻まれている戦災で亡くなった方々の名前を、岡本さんが白い紙に赤エンピツでこすって浮かび上がらせる。その何千枚もの紙を廊下にしきつめるとまるで赤い絨毯のようになった。




そのしきつめられた赤い絨毯をあなたは歩く事ができますか?

今回の設置に岡本さんは約1000枚、7000人ぶんの戦災者の紙を用意してきた。
岡本さんが用意した紙でほぼぴったりだったのには驚いた(あまったのはたった1枚)


今日は慰霊の日
平和の礎には 母のお父さん、つまり僕のおじいさんの名前がある。
おじい といっても亡くなった時は23・4だからいまの僕より若い。

正午、いしかわでは黙祷のサイレンが鳴り響いた

ラジオではまるで平和の押し売りのように、平和の尊さを伝えるばかり。頭のいい小学生や中学生が 「戦争はいけません!」 という形式ばった詩を朗読している・・・・

平和って何?  まじで平和って何?

戦争はいけません ってくさるほど朗読したら平和なの?

僕は平和の押し売りからはすり抜けたい。だから今日 岡本さんの展示をみにきたのだ。
こんな慰霊の日があったっていいじゃないか!
岡本さんの今日の展示を通して、僕はおじいと向き合う。



(設置中の岡本さん)




終了後、岡本さんと話をした。
ゆっくり話をするのは今日がはじめて。もっと意見が反発しあうのではないかとおもったが、けっこう波長があうのでびっくりした。

岡本さんが以前つくられた作品をライブに使用したいんですが 
と言ったら

いいですよ と言って下さった。
来月スペインで展示があるらしい
そして青森や大阪での展示も控えているとか

岡本さんのような力強い作品を創られるアーティストがいま沖縄にいるというということはとてもいい機会だ。またラジオにお呼びしたい。

岡本さん、今年はとてもいい慰霊の日になりました、ありがとうございました。



  

Posted by 山田ばさらよっしー at 20:28TrackBack(1)

2006年06月21日

color the world

兄貴に電話した

いよいよ作品ができた、展覧会の案内をするところだと言う。
月曜日、ティトゥスさんがゲスト出演して下さった時の内容を伝えた。また慰霊の日に 岡本さんの展示があるので観に行こうと思っている事も話した。

とにかく時間がない ない ない ない と話す兄貴

兄貴はいつもポジティブだ
沖縄のギャラリーの動きについて “沖縄の現代アートで飯が食えている人がいないのになんでこんなにギャラリーがあるのだろう?”  とたずねた

すると 「沖縄が東京やニューヨークのギャラリーの真似をすることはないと思う。画廊沖縄が、南風原の畑の真ん中にできるんだぜ! それっていいよね!」 と答えた


ポジティブで、自分の作品に全身全霊を込めている兄貴

「非常勤講師をしながら 作品発表する選択だってあったでしょ?」
と聞くと

 いまでさえ時間が足りないのにそんな事できないよ  だって

兄貴との電話はいつも長くなってしまう。
そして電話を切った後、いろいろ考えさせられてしまう。

あ〜〜〜〜〜〜兄貴の新作みてみたい!!!!!!




(兄貴の作品   color the world)  

Posted by 山田ばさらよっしー at 23:08TrackBack(0)

2006年06月21日

アーティストとは?

アーティストとはなんだろう?

僕はこのことについて、何年も何年も考えて来た
そして僕はアーティストといえるだろうか? とか その資格はあるだろうか?
とか いや 絵を書くことや 土をこねることが アーティストだろうか?
美術系の大学に通っていたら アートを語れるのか? とか いろんな事を考えてきた

この数年、本当に嫌になるくらい考えてきたのだ

アーティストとか、アートなんて聞くと もう吐き気がするくらいだ

それなのに、僕はこうしてラジオでアートを語っている

今日も大事な休みだというのに名護の博物館へ行ってきた
そして、帰りの車の中 『俺はいったい何をしているんだろう』と本当に嫌になった

夕方、畑の仲間からボーリングに誘われ、『取材で名護に行った帰りで、とても疲れている』と断り、電話を切った後、いよいよもう終わりだ・・・なんてことを俺はしてんだ
と、いよいよ自分を辞めたくなっても、ある写真家の一生・・・・みたいなドキュメンタリー映画をひとりで観ている・・・・・



僕はいま30だ

30というのはまだ若いのだろうか? それとももう年寄りなのか?
ひとついえる事は、僕はいまこの歳にいらいらしているという事だ

いっそのこと、40だったらば、自分の夢をあきらめる事ができる。
夢なんてみればみるほど窮屈だ。あきらめてただ金のために働けばなんて自由だろうかと本当に思う


そうだ! いまこの日記を読んでいる人に、僕が言わなくちゃいけないと思っている事を早く伝えなくてはいけない



数時間前 僕の友人から電話があった
でも取らなかった。
その友人は僕の日記を定期的に読んでくれているみたいだから、この日記を読めば自分のことだとわかると思う

長崎で中学・高校の6年間一緒に生活してきた大切な友人だ。
僕は長崎時代を思い出すたびに死にたくなる。そしてそれと同時にもうあんなにすばらしい日々は僕の人生におとずれることもないだろうと思う。特別いじめにあったわけじゃないが、長崎の寮の仲間達と全く心を通わせることができなかった。その理由もわかっている

僕はその時代、いい大学に入ることが人生最大の目的だったから、友達なんてくそくらえと思っていたからだ

わかるかい? 12才のガキが毎朝5時半に起きて いい大学を目指すんだ
テストの一週間前になると風呂に入らないで勉強、勉強
夜中、懐中電灯の光でテスト勉強

サッカーに誘われても勉強が大事だから断るんだ

そんな僕に友達ができるわけなんてないだろう

何かおかしい・・・・・  
と気づいた時には僕は18になっていた。それでもその思いを隠して僕は大学受験に臨んだ。

そしてすべての大学に落ちた

僕の12才から18才までの生活というのは一体なんだったんだろう
ただただ虚しかった。そして自分を否定されたみたいだった
浪人して大学に入ったが、僕にはまったく意味のないものになっていたからすぐに辞めた

「いい大学に入りなさい!」 という親との約束を一回果たせばあとは何でもよかったんだ

だからこの10年以上長崎の友達とコンタクトを取るのが本当に怖かった
怖い・・・・というよりあの時の匂いを思い出したくないから避けてきたのだ

僕が音楽活動をはじめたスタート地点もそこにある
僕はとにかく何か表現しなくちゃだめになってしまう、この思いを誰かがキャッチしてくれると僕は救われるのに という切実な思いがあった

だから手段は別にギターでなくて、画材でも、文筆でも、演じることでも、財テクでもよかったんだ。
ただ一番しっくりくると思ったからギターを手にしてみただけだ

僕はやはり長崎時代から逃げるわけには行かない

12年かけてやっとその事に気がついた。
気がついたわけじゃなくあきらめがついたのかもしれないけれど
12年かけてリハビリしてきたとでもいえばいいのか

この12年でだいぶ変わった
お袋が倒れ、親父の会社が倒産し、もう家もなくなった
でもなんにも変わらないところもある
アートとはなんなのか? と ばかみたいに考えてきたのは間違いじゃなかった
いろんな作品をみて、たくさんのアーティストと出会い、この数年いろんな風景をみてきたからやっと ここにたどりついたんだ

アーティストとは何か?

僕にとってはとても切実で、個人的な問題だ

まだ間に合うかもしれない
逃げたりしないで、真剣に 長崎の頃の自分を見つめよう

そして人との出会いを大切にして行こう

そこにアーティスト山田の“中心”がある



  

Posted by 山田ばさらよっしー at 01:21TrackBack(0)

2006年06月20日

ティトゥスさん

ティトゥスさんが遊びに来て下さいました。

ティトゥスさんと知り合ってかれこれ3年になるというのに、ティトゥスさんのご両親が映画監督だというのは初耳でした。またドイツにいる時から、すし や てんぷら すき焼き が大好きだったという話も以外でした。

この3年で、こんな僕でも少しは成長したかなと思えるところがある。

人の意見を聞き、考えてみることができるようになった。
ティトゥスさんが考える沖縄の魅力は、沖縄のひとたちにはひとを許すという寛容さがある というところだという。きっと少し前までの僕ならそんな沖縄の寛容なところを、ルーズなところだと決めつけてしまうだろう。

ヨゼフ・ボイス(Joseph Beuys)は、アメリカでコヨーテとじゃれあい、にらみあったりするなど無言の対話をし、それ以外のアメリカを見ないままドイツに帰った というパフォーマンス(?)をしたことがあるそうだ。

ディベートと対話は違う
ディベートで重要なことは勝つことだ。しかし、対話で重要なことは話すことより聞くことが大事。

ティトゥスさんで僕が真っ先に思い出すのは、wanakio というアートイベントでのミーティングの際に延々と続いた出口の見えない言葉たちだ。僕はディベートするという姿勢で臨んでいたから、いつも前かがみになってにらみをきかせていた。けれどいつもティトゥスさんは涼しげで飄々としているようにみえた。

いま覚えばティトゥスさんもとてもきつかったはずだ。でもそんな顔はおくびにも出さなかった。ティトゥスさんの東京向島や前島アートセンターにまいた種は、いますぐには結果を出さなくても、おそらく10年あとには間違いなく芽吹くに違いない。

とはいえ、僕が思う沖縄のネガティブなイメージというのは解消されるものではないし、また解消していいものではない。人と対話するという姿勢を持ち、時には拒絶しながら、僕は僕のスタンス、スケールで活動をする。

現在、前島アートセンターにおいて ティトゥスさんの生徒たちによる展覧会が行われています。是非 前島アートセンターへ足を運んで下さい。

ティトゥスさんと出会えて最高! とあらためておもえた1時間でした


(ティトゥスさん 画像がぶれちゃいました。すみません・・・・・)  

Posted by 山田ばさらよっしー at 01:32TrackBack(0)

2006年06月17日

興奮!

ばかやろう!

ばかやろう!!!

ついに!  ギター買っちまったよ!






手が震えたねえ!
この歳になってもこんなに興奮できるものがあるなんて最高だよ、生きててよかったってほんとにおもうよ。

1万6000円だけどさ、値段の問題じゃねえ
一生懸命に働いて稼いだ金からかったギターだよ!!!
いまの俺にとって、1万6000円はものすごい額だ。でもみた瞬間 これしかねえ って思った!

レスポールJr の ばったもんだろう
レスポールJrといえばなんといっても ジョニーサンダース!

ジョニーはパンクの中のパンクさ

なんだろう!!!
すっごく興奮してる!!!!!

この一年いろんなことがありすぎたから、またこんな風にしてギターが買えるなんて思ってもみなかった。 もう一度初心に戻って、音楽へ向かおう

あらためて
僕の心を揺り動かしてくれるすべてのミュージシャンに感謝します

そして新しい僕のギターへ
よくきてくれた。 これからよろしく

友達になろう!  

Posted by 山田ばさらよっしー at 23:07TrackBack(0)

2006年06月17日

したくな〜い

どうやら農家は誤解されているらしい

「自然相手の仕事って素敵!」 とか 
「人間の本質は農業にあるのよ!」 とか言うばかがいるみたいなので

本日は 僕が仕事のあいまに撮って来た、一見素敵な写真たちを元に、いかにはるさーが汚くて、難儀な仕事なのかをお伝えします。

まず一枚目


これは僕らの出荷場
遠目にみるとほのぼのとしている 
しかし本当はあまりにも老朽化しているので、遠目に、しかも S サイズのぼやけたものでしかお見せすることができないのだ。
はじめてここを訪れる人はまず、ほこりまみれの状況に耐えられないだろう
そんな空間になぜかポットやコーヒーメーカーがあって、「どうぞ」と薦められる。
ほこりが踊っているコーヒーを飲むことが出来たらあなたははるさーへの第一関門突破だ!

道具ばこを開けたらへびがいる、床下を掃除するとネズミの赤ちゃん、車の事故で頭の欠けた猫が物欲しげに出荷場にやってきます。
出荷場は素敵な動物たちで夢いっぱい!





これは見ての通りお馬さん
僕らの畑の隣りにいっつもいます

よく見て下さい。金網がありますね。実はこの中は国の土地なんです。国の土地にもかかわらず誰かが勝手にお馬さんの庭にしているのです。
しかもこの馬さん、持ち主を見かけません。ので、農薬散布中も逃げる事が出来ません。
という事は、農薬を散布された草を食べている可能性が大です。

悲惨な馬です




 NEXT



これは亀ですね
草刈り中に見つけました。どうやら、甲羅のおかげで草刈り機で削られずに済んだようですね。
珍しいのでこの亀をトラックの後ろに確保しました。
すると暑さにやられ伸びてしまいました。このままではいけない! と思って 僕とKは近くの川に、彼をかえすことにしました。

 「なんかおもしろいかえし方をしようぜ!」とKは言って、高く、高く放り投げました。まるでガメラのようにくるくると空中をまわり、ぼちゃっ と川に沈みました。



最後です













これは以前もアップしたことのある僕の手です。これをアップした時にやめてくれ! という反応があったので削除しましたが、いま一度アップ!
農薬散布の後、菊畑に入るとこうなります。かゆいを超えたかゆさです。もちろん顔もぷくっとはれますが、さすがに顔のはれた写真をアップするのは気が引けますので、これで勘弁して下さい。

去年だったか、おととしだったか、 深田恭子主演で 農家の嫁になりたい みたいなドラマがありました。
農家には深田恭子なんて絶対きません!
相手役の男性も美男子でした。ふざけているんだね?
ぼくらのまわりのはるさーで20代なんて数えるほどしかいないのです。美男子以前の問題です。

こんなになった僕の手を愛してくれる女性はほんものです




最後に社長の口癖を

の〜ぎょーなんてしたくな〜〜〜〜〜い

だって  

Posted by 山田ばさらよっしー at 19:59TrackBack(0)

2006年06月16日

ケロロ

明け方4時

目が覚めてトイレへ行き、流し場で手を洗おうとしたら、ゴキブリが3匹石鹸をかじっている。

殺虫剤をまいたら、ほかにも1匹出てきた
まったく、なんて生活をしてんだ


もっとお金がほしい、勉強がしたい、からだを鍛えたい 

鍵盤が光るピアノがほしい!
ギター教室に通いたい!
車だって買いてえよ!
ボクシングジムに行きたい!
英語を勉強したいよう!
絵画教室に行きた〜い!
夜間の大学に行きた〜〜〜〜〜〜〜い!
長崎県立美術館の館長さんに会いたい!
イサムノグチ庭園美術館へ行きたい!
ニューヨークへ行きたいか! って  ばか 行きたいよ
うゔぇはcdッbfウェfhぬjウェhbdjうhdwhd!!!!
もおこんな生活いやだ〜〜〜〜〜〜


あ〜〜〜〜〜〜いやだ〜〜〜〜〜〜〜

も〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜いやだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

助けて!   ケロロ軍曹!





・・・・・・・・


ふう
殴り書きしてみたらなんとか落ちついてきた

今日、仕事終わったらギター買いに行く!!!
ばか! 1万円のギターだよ
俺が立派に働いて買うんだよ
何が悪い?  え?

ってひとりごとです  

Posted by 山田ばさらよっしー at 04:41TrackBack(0)

2006年06月15日

科学のメス

宮崎日日新聞において
メンタルトレーニングに関する記事が連載されていた

「宮崎は国体でいつも弱いのはなぜだろう? 低迷する宮崎の競技向上をはかりたい」
というのが連載のきっかけだったそうだがとてもおもしろく読ませてもらった

僕は小学校の頃 スパルタ式の塾に通っていた
『努力 根性 忍耐』
と書かれたはちまきを頭に巻いて合宿をしたりするような塾だった
その頃からだにしみついた習慣はいまだに抜けない



この宮崎日日新聞の記事を読んでから、まず農園の作業日報をつけるようにしている
アルバイトだし、いつやめてもいいんだから というスタンスでいままで仕事をしてきたけれど、せっかく縁あってこうして働かせてもらっているんだから、農園の売り上げに貢献できるように向上したい

30年後の目標 10年後の目標 5年後 1年後 半年後
そして1ヶ月 今週 明日 今日の目標

僕はめちゃくちゃが大好きな人間なんですけど
理屈抜きにめちゃくちゃなことをするにもいまや科学のメスが必要な時代なんですね


(草刈りの休憩中に)




いまRADIO HEAD の アムニージアックを聞きながらブログを書いている
いつ聞いてもへんてこりんで気持いいなあ  

Posted by 山田ばさらよっしー at 22:03TrackBack(0)

2006年06月14日

“Howl”

アレンギンズバーグというビートニク詩人がいる

彼が1955年 サンフランシスコシックスギャラリーで朗読したのが

“Howl”

日本では “吠える” と訳されている
ボブディランもジムモリスンも “Howl” を読んだ

ライブハウスを創りたい
名前はもちろん “Howl”

地下へ降りて行くようなつくりがいい
壁は土塀でひんやりとして、キャパは30人も入れば満杯のような空間

ちなみにアレンギンズバーグ晩年の詩はこうだ

「割れ目女子高生は パパの車で送ってもらうよりはもっと気持いいのに乗りたいだろう  お前ら生まれる前からレールに敷かれているんだ 便所の中でもラテン語を勉強しなさいって」

つまり変態なんです

  

Posted by 山田ばさらよっしー at 22:57TrackBack(0)

2006年06月13日

多摩川

今日は親父の誕生日
休みを利用して車を走らせた

沖縄市から糸満まで、ただただ だらだらと行く
僕はひとりでいる事が好きだ
東京に住んでいた頃はよくひとりで多摩川へ行き、ギターを弾いた

最近僕のまわりは騒がしい
国民年金のない親父に巨額の借金があったり、お袋の病院費用の未払いもたんまりとある
いま住んでいる家も僕の名義ではないから、ちかい将来引き払わないと行けないだろう

それでも昔がよかったとは思わない


ラジオ番組を持っている。行きたいと思うところへ行くことができる。
素敵なともだちや恋人がいる



それにしても親父はなぜすぐに泣くのだろう
いま泣きたいのはむしろ僕のほうなのに
自分は悪くない 悪くない 
と親父が言えば言う程悪くなってゆく


ご両親が健在なみなさん
いつまでもあると思うな親と金   というのは本当です

元気なうちに丁々発止やりあっていたほうがいいですよ

そして税金も年金もあなたの両親の出自のことも
しっかり把握したほうがよろしいです

どんな問題でも悪いのは親でも世間でもなくてあなた自身なんだから



多摩川のような避難所を沖縄でもみつけなくてはいけないなあ

漫湖・・・・・・

う〜〜〜〜〜〜ん・・・・・






(多摩川にて)  

Posted by 山田ばさらよっしー at 19:15TrackBack(0)

2006年06月13日

福山雅治

6月12日の RAIN ではワールドカップを特集しました。

あんまり興味ないのに、負けるとやっぱりくやしいねえ(涙)

僕がワールドカップを意識するようになったのは 
1990年のイタリア大会
まだマラドーナが現役のスーパースターでね、ドイツの監督があの “皇帝”  ベッケンバウアー!

考えたらまだその頃の日本では ワールドカップを意識して観ている人は今ほどいなかった。
Jリーグはまだ始まってなくて、出場なんて夢のまた夢だったし、地上波での放送もあまりなかったから、僕はかなりませガキだったんですね(笑)

ナンバー というスポーツ誌で特集されていたワールドカップ特集がよかった。
ロジェ・ミラ というカメルーンの選手を強烈に覚えています。
一度は引退していたのに、大統領直々のコールで現役復帰を決断し、なんとイタリア大会で4得点をあげたんですよ!

僕の中のロジェ・ミラは、がりがりで、無表情な選手だったというイメージがあったのに、こないだ見たら顔はでかいし、シュートを決めたあとのダンスも派手だし、人の記憶ってなんてあてになんないもんなんだろう と恐ろしくなってしまいました。

イタリア大会は盛り上がりに欠けた大会だった とか言われているようだけど、僕にとって一番印象が強いワールドカップですね。

僕はへたくそなサッカー部出身だからわかるんですけど、サッカーは試合相手に触れた瞬間お互いの実力がだいたいわかるんです。僕なんか、中体連の時、試合相手の身長は高いし、足は早いし、ハンドはするし、笑われるしでほんとみじめでした・・・・・

その相手中学というのがなにをかくそう 福山雅治さんの出身校でね、1ー5ですよ

1−5

まるでおいらと福山の差みたいじゃないか!!!

そうそう僕が越境入学で九州にいた頃
地元沖縄の僕の同級生たちは 野球で沖縄一になったんですよ。
一緒に少年野球をしていたやつらばっかりだったから、かれらが とてもうらやましくて、輝いて見えました。

そんな僕が、いまでは地元のラジオでワールドカップの特集をしているんだからおかしなもんですな。


(はじめまして、ろじぇ・みら です)  

Posted by 山田ばさらよっしー at 02:11TrackBack(0)

2006年06月09日

Bleach

Bleachのライブを観て来た



さて、この後どうつなげてゆけばよいものか 困ってしまう・・・・・
いいライブだったのだ  
演奏も素晴らしかった
客もたくさん集まった

でもなにかしっくりこない・・・・・

若いオーディエンスが演奏にあわせ飛び跳ねている
笑顔で演奏して行くメンバー達


はっきり言ってしまおう
僕はBleachを聞くにはあまりに歳をとりすぎてしまったのだ


Bleachは沖縄インディーズの宝である

まずそれをしっかりお伝えした上で、沖縄のラジオで音楽を伝えている人間のひとりとして
僕なりの見解を


Bleachのライブは少し型にはまりすぎている気がする
どうしてBleachのライブにあれだけのスタッフがいるのか僕には理解できない

学生時代、僕の大学祭に 少年ナイフ がやってきた
僕の記憶が正しければ、少年ナイフはほとんどスタッフなしでメンバーだけでPAや楽器のチューニングをしていた。
少年ナイフも女性3人編成(当時)、そしてBleachと同じようにアメリカツアーを敢行している
あのカート・コバーンが少年ナイフを大絶賛したというのは有名な話だ
それを考えると、Bleachももう少しスタッフの数をタイトにしてもよいのではないか?

ふたつめ
本番中 ステージのすぐ横に男の人が立っている
おそらくマイクが倒れたりした時など 緊急に備えてのスタンバイなのかもしれない
けれどもあまり観客に見えすぎる位置に立っていると興ざめしてしまうのだ
またこれはあくまで個人的な意見だが、アンプの上にペットボトルがあるのは似合わない気がする
Bleachのような爆音バンドにはなにがおこるかわからない というような緊張感がほしい

どうやら沖縄には 世界を敵にまわしても  というスタンスで表現してゆくバンドがいないようだ


僕は東京ドームでローリングストーンズをみたし、武道館でスティングもみた。
ディランもみたし、矢沢永吉もみたけれど、いままでみたライブの中で鳥肌ものだったのは渋谷アピアでの青木マリのステージだ。

青木マリは絶望を吐き続けた
青木マリは歌い終わった後、たいがい無表情なのだ
青木マリは日本の音楽界でもっと評価されなくてはゆけない

僕は青木マリの前座だった
二十歳の僕は青木マリのステージを観て 自分が情けなくなり
沖縄に帰ることを決めた

マリさんは僕のことなんて覚えていないだろう

でも僕の心はいまもマリさんの歌に支配されたままだ

今日のBleachは初のワンマンライブだったというからこれが普段と同じステージなのかどうかはわからない。けれど、結成して9年なんだから、ただオーディエンス受けのいいライブでした! ではもの足りない

あらためて言う
Bleachは沖縄インディーズの宝である

だからこそ、もっとわがままでいいから、Bleachのスケールで活動してゆけばよいのにと思ってしまうのだ。  

Posted by 山田ばさらよっしー at 23:10TrackBack(0)

2006年06月08日

16です

社長の次男坊は沖縄国立高専の2年生

来月、高専のオープンキャンパスがあるというのでとても楽しみにしている
パンフレットを見たのだが、設備がものすごく充実している。なんでも沖縄で2台しかないコンピューターがあるらしい。
親でさえ寮の中に入ることができないというから管理も徹底されているのだろう。
まだ決定ではないみたいだけど大学院大学へゆける道も拓けそうだ

とはいえ本人はいたっていまどきの16才
毎週金曜日家に帰ってきては友達とダンスの練習へ行く
“ダンスでは飯が食えないぞ”
“高専さえ卒業すれば将来は安泰なんだからな”
“もし退学したりなんかしたらお前もはるさーだぞ!”

という社長の小言にいつもへらへらとかわしている


俺は20才の時に大学を中退した
なぜだろう?  とにかく辞めたくて仕方がなかった。わからないまま私立の進学校へ通い、寮生活を6年過ごし、ただただいい大学へ入る事だけが目標だった

法学部はつぶしがきく!

なんて先生に言われたものだ。つぶしがきく なんて言葉いまでも使うのだろうか?

大学へ入った時に ふと 『俺は何がしたいんだろう?』 とはじめて考えた。
そしてこのまま先を考えた時、自分はなんておもしろくない奴なんだろうと思った

面白くしたくて、自分の退路を断った

時々想像する事がある・・
16の俺が今の自分を見た時どう思うのだろうか?

“音楽や、ラジオでは飯が食えないぞ!”

なんて16の俺に説教されないように頑張んなきゃなあ





(本文と全く関係なし)  

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2006年06月07日

LICENSE

長渕剛のアルバムに  “LICENSE”  というのがある

おそらく彼が29〜30才の頃につくられた作品
いまでは長渕剛といえばとてもマッチョで男臭いイメージが作られてしまったが、この LICENSE にはその雰囲気はない
この当時の長渕の声はなんだか軽く弾んでいる
その軽さは歌が歌として届く
しかし歌詞の内容はよく読んでみるととても重たい
このアルバムは一人の青年が大人として自立してゆくドキュメントである

『そして生きて行く勇気がほしくて
それでも死ねない自分が悲しい』
と泣いている青年がいる
何がそんなに悲しいのかはここではわからない
が酒の席での友との会話に青年は強い憤りを覚えている

一度はあつく燃えて本気で愛したと思っていた女性だったのにいまでは 
『一緒にいることがけっこうつまらない・・・・』
と心変わりを認めている
だからと言って嫌いなわけじゃない  むしろ本当は愛おしいのに
でもふたりの愛が死んでしまったことははっきりしている


そして彼は 子供の頃の自分 若い母と父を振り返る
なぜあの時 お袋は泣いていたんだろう
親父はどうして俺を海へ連れて行っていたんだろう
『回送列車が操車場に入るその前に
駆け足で早く  駆け足で早く』 と
走った幼い自分のこと・・・・


このアルバムは日本における最高のロックアルバムだ
長渕自身でさえこのアルバムを超えるような風景はもう創れないだろう



今日 親父にあった

いつも通りの平行線が続いているのはとても悲しい
ほんとうに悲しい



僕がこの歳になったからこそよくわかることだ
29才の長渕剛という青年は、ことばにできないくらい苦しくて だれかにすがりつきたいともがいて
それでも自分は歌をつくることしかないんだとあきらめたのだ




  

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2006年06月06日

6月5日の RAIN

未完の画家 宮城与徳 と  アーティスト 照屋勇賢を特集しました。



時代は違えど 与徳も 勇賢もアメリカで美術を学んだ沖縄県人です。
宮城与徳という人は、“スパイゾルゲ”で有名なリヒャルト・ゾルゲの諜報活動に関わった人物で、ゾルゲ事件で検挙された後、東京の拘置所内で亡くなっています。

“夢の“カリフォルニアへ雄飛した彼ですが、移民に対する差別や、アメリカ社会の階級問題を目の当たりにした時、本土によって沖縄が収奪されるのとなんらかわりないじゃないか!   と思ったのでしょう・・・・・   後年 彼は

「共産主義の本はあまり読んでいない。けれども働く者が食える社会にしなければと思った」  と語っています


ゾルゲや与徳が行った諜報活動はあくまでも戦争回避のための命がけの活動でした。


僕の兄貴、照屋勇賢が世界を飛び回り展示会を行っている姿をイメージする時、与徳と重なる瞬間があります。
以前、兄貴は僕に 「政治運動をして生きて行こうと思ったこともある」と言いました。

宮城与徳の絵にどのくらい価値があるのか、また画家としてどのくらいの力があるのか 僕にはわかりません。 
ニューポートビーチ という作品を見た事があります。
夕方ぼんやりとひとりでいる時、ふと孤独を感じる瞬間があります。冬の凍てつくような寒さではなくふと我に返った時に感じるひとりでいる瞬間。ニューポートビーチ の絵はそんな寂しさを感じさせてくれる作品でした。

いずれ戦争がおわり、君たちの時代がくる
 と彼は言ったそうです


この頃 よく思う事があるんです
僕はいつも 自分 自分 自分 で生きてきました。それはもちろん当然の事かもしれません。やはり自分が一番かわいいものです。でも最近 自分のこれからの音楽活動やラジオパーソナリティの山田よっしーを思う時、それだけじゃあ 力がはいんないんです。それだけだと、保身というか前向きになれないんです。

僕はここまで道を拓いたよ。さあ次につなげてくれよ!  というようなリレーをしたい

それができるのが アート や 音楽の力だと信じています。

  

Posted by 山田ばさらよっしー at 03:16TrackBack(0)

2006年06月04日

たっとばす!

今日の作業はゴーヤー畑で社長とふたりでした

社長と僕のペアというのはめずらしい。
伸び放題になっている草を草刈り機でたっとばして たっとばして たっとばす!

休憩中
「やまだ〜 草刈りもぶちくんやらや?」と社長
「いや〜 楽しいですよ」と意地を張るおいら
そんな間抜けな会話をしていたら
遠くから高級車がやってくるわけですよ

「いいなあ  いつかはあんなクラウンに乗りたいな〜」
「いいなあ〜」

と二人でよだれを垂らす勢いで眺めていると、どんどんこちらに近づいてくる・・・

「しゃ、 しゃ、 社長! マジェスタですよ! マジェスタ!」

と僕が叫んだあと、マジェスタのドアが開いて社長に挨拶するんです

なんとマジェスタ様はとなりの畑のT さん

「あはっ! T さん  おはようございます!」
と驚く社長
Tさんの隣にはお奇麗な奥様がいて、僕らに会釈している

車が通りすぎたあと
「いいよ。俺たち農園はいつも楽しく面白くいこう。貧乏人同士!」
と言いながらも社長は

あれ新車やらや。ちゃっさが???  6・700万 すんど〜

と叫んでいました


明日はまた ラジオパソナリティーよっしーの日だじぇ

特集 宮城与徳
電話インタヴュー 照屋勇賢
リスナーのみなさん、明日お耳にかかりましょう!



(通勤途中でいつもみかける壁画です。とても印象的な作品なのでアップ!)  

Posted by 山田ばさらよっしー at 19:15TrackBack(0)

2006年06月02日

快感男

作業後、農園で働いていた たーつーが久しぶりに遊びにきました。
僕の先生です、たーつーからほとんどの作業を習いました。いまは別の農家で働いています。





たーつーとトーシーとよっしーと三人で、ビールをちびりちびり飲みながら、菊作りについての意見を交換しあい、お互いの夢について語りました。
男の甲斐性について話す、たーつーとトーシー

「ウ〜ん でもやっぱ俺は博打の快感だけは理解できないよ」
と僕がいうと

「よっしーはわかっていない!」
とばっさり!

トーシーの携帯にはひっきりなしに奥さんからの電話とメールが
『明日子供の遠足ですよ。飲み過ぎるとまた起きられないんじゃないの!』
という怖いメッセージが



アルコールの入ったトーシーはやばいです


久しぶりに腹がよじれるほど笑いました。



農園の僕はいつもぶさいくです。

それにしても、 たーつー、かーつー とか よっしー トーシー 
沖縄の人ってなんで名前を呼ぶ時、伸ばして発音するんでしょうか?
それがいま よっしー最大の疑問です。  

Posted by 山田ばさらよっしー at 22:57TrackBack(0)

2006年06月02日

跡継ぎです

このブログでも紹介した農園の トーシーが、JA雑誌今月の表紙なんです




トーシーは僕の農園の社長の息子だ
とても丁寧に仕事をこなし、気配りのある人。
僕より3つ年下なのだが、畑のキャリアは彼が20才の頃からだから大先輩
昔はかなりやんちゃだったらしい。


最近になって気づいたことだが、トーシーは親父をとても信頼している。
尊敬している とか 親父が好き とかではなく
親父を信頼している。

社長はいつも 「俺は40歳からまっとうな人間になろう思ったんだ」 と話す
それまでは家族をかえりみず、女遊び、博打三昧の暮らしをしていたという。
40の時、自分の喫茶店が潰れ、借金を抱えてから人間を変えよう と誓って生きてきた。

トーシーは博打三昧の親父と、夜明けまで菊を刈り続ける親父と両方見たに違いない。

恥ずかしい話 僕は僕の親父がどんな仕事をしていたのかずっとわからなかった。
肩書はある、でもそれだけだ。
親父の仕事が成功した時に、札束がぽんと置かれている
そんな光景が我が家にはよくあった。
「数えなさい」 と言われ、幼い僕はその札束を何百枚と数えてゆく・・・・

親父はとてもおしゃべりだったけど、親子の会話は皆無だった。


僕は小さい頃から、死んでも親父の跡継ぎだけはしたくないと思っていた。なぜそう思ったのだろう。 弟も後継ぎをしようなんて思わなかったろう。


社長はトーシーに 「お前はコックの道と農業の道のどっちがいいか? 」

「俺がお前にできることはこれだけしかないよ」 と 言ったそうだ。



僕らの農園はいまところはうまくいっている。
でもトーシーがバトンタッチしてあともそれが続くかどうかはわからない。
僕はただの雇われ従業員だから、トーシーにできることなんてなにもないかもしれない。
農業は きつい 汚い からだに悪い

本当に大変な仕事だ。もうやめようと瞬間思う。
それなのに、いまこうしてひとりでパソコンに向かっていると、早く朝がきて農園の仕事がはじまればいいのになんて思う自分がいる。

社長がいて、トーシーがいて、農園のメンバーがいる
やっぱりあの空気がたまらなく好きなんだ  

Posted by 山田ばさらよっしー at 01:01TrackBack(0)