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2018年07月11日
いなふくじいちゃんのこと
「稲福じいちゃん」という伝説の人物がいます。
昨日は手話のメンバーから、その稲福じいちゃんの話を聞かせてもらいました。
稲福じいちゃんは昭和ひとけた生まれ
職業はシェーク(大工さん)、若いときに奥さんを亡くし、シングルファーザーとして四人の子供を育てました。
そこまでの話はよくメンバーから聞かされていたのですが、
昨日びっくりしたのはじいちゃんが手話をはじめた年齢です。
手話、ピアノ、バイク、すべて六十歳を過ぎてからはじめたそうです!
息子さんが手話サークルに参加したことがきっかけで、
じいちゃんもはじめたのだそう。
これはあくまで想像ではありますが、
昭和ひとけた生まれだった稲福じいちゃんは、きっと戦争をど真ん中で体験されたでしょうし、
奥さんも若くで亡くされて、子供を男手一人で四人育て上げるのに必死だったのではないでしょうか?
六十を過ぎようやく余裕もうまれ、自分の「遊ぶ」時間ができた時に、覚えたのがバイクだったり、手話だったり、ピアノだったんじゃないかと思います。
僕が稲福じいちゃんと出会ったのは、ここの勤務に就いて一年目。
じいちゃんは手話サークルのある毎週末、この建物にやって来ました。
いつもスクーターでやって来て、それからロビーで少しピアノを弾きました。
じいちゃんのピアノは決して達者ではないけれど、とても優しく鳴りました。
弾き終えると、いつも僕をちらりと見て、えへへと笑って、2階へ上がり手話サークルへと向かいます。
手話サークルを終えると、帰りしなに手話で
「じゃ、また来週ね」と言って、スクーターにまたがって帰って行きました。
じいちゃんはとても小柄で華奢な人でした。
あまり口数の多い人ではありません。
当たり前だけど、僕が出会った頃のじいちゃんはもう立派なよぼよぼのじいちゃんでした。
昨日はそんなじいちゃんのエピソードを色々聞かせてもらい、
僕はとてもほっこりしたし、泣きたくもなったし、前向きにもなれました。
「じいちゃんが手話やピアノをはじめたのは60からよ!うちらも負けてらんないじゃない!」
なんてみんなに言われて、本当にそうだよなーって思いました。
じいちゃんが弾いていたこのビアノをいま僕が弾いていて、
そして挫折しかけた手話をまたはじめているのって、
もしかしたら偶然ではないのかもしれません。
先日から、なぜか急にまた鳴るようになった
と話題になっていたピアノですが、
このピアノが急に鳴るようになったのは、もしかしたらじいちゃんの仕業かも。
人との出会い、縁っていうのは不思議です。
稲福じいちゃんは、世間では決して有名な人ではないし、強烈なオーラを放つような人でもなかったけれども、僕たちにとても強い印象を残しています。
人の魂ってこうして受け継がれて行くものだということを、僕は昨日うまれてはじめて感じ、信じることができました。
じいちゃん、
昨日はじいちゃんのこと色々聞いたよー
手話続けるね、
じいちゃんの弾いてたピアノ僕も時々弾いてるよ。
いまも時々来てじいちゃんが弾いてるのなら嬉しいな
昨日は手話のメンバーから、その稲福じいちゃんの話を聞かせてもらいました。
稲福じいちゃんは昭和ひとけた生まれ
職業はシェーク(大工さん)、若いときに奥さんを亡くし、シングルファーザーとして四人の子供を育てました。
そこまでの話はよくメンバーから聞かされていたのですが、
昨日びっくりしたのはじいちゃんが手話をはじめた年齢です。
手話、ピアノ、バイク、すべて六十歳を過ぎてからはじめたそうです!
息子さんが手話サークルに参加したことがきっかけで、
じいちゃんもはじめたのだそう。
これはあくまで想像ではありますが、
昭和ひとけた生まれだった稲福じいちゃんは、きっと戦争をど真ん中で体験されたでしょうし、
奥さんも若くで亡くされて、子供を男手一人で四人育て上げるのに必死だったのではないでしょうか?
六十を過ぎようやく余裕もうまれ、自分の「遊ぶ」時間ができた時に、覚えたのがバイクだったり、手話だったり、ピアノだったんじゃないかと思います。
僕が稲福じいちゃんと出会ったのは、ここの勤務に就いて一年目。
じいちゃんは手話サークルのある毎週末、この建物にやって来ました。
いつもスクーターでやって来て、それからロビーで少しピアノを弾きました。
じいちゃんのピアノは決して達者ではないけれど、とても優しく鳴りました。
弾き終えると、いつも僕をちらりと見て、えへへと笑って、2階へ上がり手話サークルへと向かいます。
手話サークルを終えると、帰りしなに手話で
「じゃ、また来週ね」と言って、スクーターにまたがって帰って行きました。
じいちゃんはとても小柄で華奢な人でした。
あまり口数の多い人ではありません。
当たり前だけど、僕が出会った頃のじいちゃんはもう立派なよぼよぼのじいちゃんでした。
昨日はそんなじいちゃんのエピソードを色々聞かせてもらい、
僕はとてもほっこりしたし、泣きたくもなったし、前向きにもなれました。
「じいちゃんが手話やピアノをはじめたのは60からよ!うちらも負けてらんないじゃない!」
なんてみんなに言われて、本当にそうだよなーって思いました。
じいちゃんが弾いていたこのビアノをいま僕が弾いていて、
そして挫折しかけた手話をまたはじめているのって、
もしかしたら偶然ではないのかもしれません。
先日から、なぜか急にまた鳴るようになった
と話題になっていたピアノですが、
このピアノが急に鳴るようになったのは、もしかしたらじいちゃんの仕業かも。
人との出会い、縁っていうのは不思議です。
稲福じいちゃんは、世間では決して有名な人ではないし、強烈なオーラを放つような人でもなかったけれども、僕たちにとても強い印象を残しています。
人の魂ってこうして受け継がれて行くものだということを、僕は昨日うまれてはじめて感じ、信じることができました。
じいちゃん、
昨日はじいちゃんのこと色々聞いたよー
手話続けるね、
じいちゃんの弾いてたピアノ僕も時々弾いてるよ。
いまも時々来てじいちゃんが弾いてるのなら嬉しいな
Posted by 山田ばさら at 11:05