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2008年08月27日

髪をください

昨日 読谷ギャラリーのゆくいでゆくっていたら
派遣会社から電話


「山田さん明日バイトできる?」

とりあえず一回電話を切って・・・

「リンさ~ん、明日やすみでゆっくりできると思ってゆくいにゆくりに来たんだけど
派遣会社から電話あったよ  どうしようかな・・・・」


そしたら また違う会社から電話

「山田さん 金曜日の夜なんですが、泊り込みで警備のお仕事しませんか?」



元来怠け者の人間なので
休みと思っていた日に仕事を入れるのは気持ちが重たいのだけど
いまの状況で今度いつお仕事をいただけるのか不安なので
どちらも引き受けることにしました


これは本当の話ですが
真面目に、誠実に働き続けていれば
たとえ派遣会社でも短期のアルバイトでも仕事が増えて行きます


やはり信頼関係なんです
いつどこで誰が僕を見ているかわかりませんね

男は黙って・・・・みたいなキャッチフレーズがありましたが

確かに何も言わなくても
しっかりと動いていれば、ちゃんと人に伝わることが
この数ヶ月の経験で身にしみてわかりました

確かに毎週、いや毎回仕事の内容が違うと
精神的に疲れるし、へこたれそうになります
でも、それより何より
こうして仕事をいただけることがうれしいです



今日はお袋の転院の日で本当は僕が動くべきなところ
弟が気を使ってくれて、彼がひとりで動いてくれました

ありがとうね




僕はここのところなぜだかとりつかれたように
昔、バイク事故で亡くなった石原先輩のことを思い出します





朝、仕事に向う前とか
急に石原先輩のことを思い出して涙が出てきます

海星のふたつ上の先輩でとてもエネルギッシュな人でした


海星の6年コースには練成会(だったかな?)という
泊り込みの合宿が年に一度あって
中学校一年の時、石原先輩と同じ部屋になったのです

おそらく悪さをしたのでしょうが石原先輩は
謹慎中で丸坊主にされていたのです

そんな丸坊主の石原先輩が言ったくだらないギャグをいまでも覚えています

消灯で真っ暗になった部屋で 神に祈りをささげる石原先輩



「神よ、・・・・」


「神よ、・・・・」




「神よ、髪をください」




部屋の一同大爆笑!!!
カトリック系の学校にかけた、先輩のつまらないギャグでした


そんなつまらないギャグさえも笑わせる力が先輩にはあったし
20年も前のくだらない話なのに、いまだに覚えているのは
やはり石原先輩のエナジーのなせる業だと思います


そんな石原先輩はたった二十歳でなくなってしまいました

たしか琉大の学際帰りの明け方
バイク事故でなくなったと記憶しています・・・・

6年コースは一学年20人が6年間エスカレーターであがってゆくので
当時石原先輩の事故はみんなにとって大きなショックでした


ただあのころを振り返ると
僕は石原先輩の死をリアルなものとして受け取れなくて
葬儀の帰りで泣いている仲間を見て

なんで?

なんで泣いているの?

なんで泣けるんだろう・・・・

とうつろな感じで過ごしたように思います



こないだの南風原AQUAでのみのり3の時に
石原先輩の同学年のM先輩が来てくださいました

打ち上げのせきで AQUAオーナーの松田も交え石原先輩の話になりました


みんなそれぞれ 石原先輩への記憶が鮮明にあって
やっぱエネルギーのあった人だったなあ と痛感




斎藤和義さんの歌で 「君は僕のなにを好きになったんだろう」というのがあります

その歌に
「むかしバイクで事故って あのまま死んだとしてもそれはそれでよかった
 そんな人生もあった」

という歌詞がありまして あのフレーズを聞くたんびに
石原先輩を思い出してしまいます




でも、死んではいけないのです


本当に死んではいけないのです


たったはたちでバイク事故で死んでしまうなんてつらいです


こんな死に方をしては本当にいけないと僕は思います





二十歳で亡くなった石原先輩は

どれだけ恋をしただろうか?
 
女性との経験はあっただろうか?

アルバイトはどれだけ経験しただろうか?


そんなことを僕はいま真剣に考えます


僕のまわりにいる大事な人たちは
ほとんど二十歳をもっともっと過ぎてから出会った人ばかりです

勇賢さんだって、宮城潤さんだって、下地鉄郎さんだって
リンさんだって、チームばさらだって
そして美奈子だって、二十歳をもっと過ぎてから出会ったのです


そう考えると

石原先輩は 本当に 本当に 本当に
本当に早すぎたなあ・・・・と涙がでてきます

悔しくて怒りさえ覚えてしまいます


石原先輩を思い出すと
気の重たくなるアルバイトやつらかった経験さえ幸せに思えます

死んじゃったら
アルバイトもできないし、痛みも感じられない

やはり生きていればこそですよね

素敵な人に出会えるし、すばらしい経験ができるのも
生きていればこそですよ



なんだか今日はどこにもたどりつけないブログになっちゃったけど

本当にそう思います



そうだよねえ? むらっち



髪をください









































































Posted by 山田ばさら at 19:48

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プロフィール
山田ばさら
山田ばさら
大学時代、東京の老舗ライブハウス「渋谷アピア」で歌い始める。
地元沖縄に戻り、ラジオパーソナリティを務めながら、2007年“山田ばさら”名義での活動スタート。2008年、マジシャンぐーにー(マジシャン翔斗)、ラジオパーソナリティ宮城卓也(ミヤタク)と“チームばさら”結成。
その後ツアーミュージシャンとしての活動開始。2012年は、日本各地100箇所近いライブを展開。
今年2018年でチームばさら結成10周年。

どうぞよろしくお願いいたします!